社会福祉法人 十字の園

十字の園について

HOME 〉 ごあいさつ

ごあいさつ

痛みに寄り添い希望に向けて共に歩む

十字の園のホームページをご覧いただきまして誠にありがとうございます。

十字の園の名前を見て皆さんはどのように感じられたでしょうか?1960年に法人の認可を申請する時には、初代理事長の鈴木生二氏が十字架の園にしたいと県の方に伝えたら、それはまるでお墓の場所の様なので、高齢者の施設としては良くないと言われたそうです。当時の担当者の方は、十字架という言葉のイメージが、死を連想させ恐ろしく感じたのかもしれません。確かに西洋のホラー映画には、白い十字架がたてられたお墓が出てきます。十字の園という名前にはどんな思いが込められているのでしょう。

十字の園の礎を築かれた、ドイツ人ディアコニッセ注1(奉仕女)ハニ・ウォルフ氏は、日本の戦後復興の手助けに、聖隷保養農園(現聖隷福祉事業団)に来られ、大変素晴らしい働きをされていましたが、異国の地で、何もかも慣れない生活に、精神的にも肉体的にも疲れて、これからどうすれば良いか必死に神様に尋ね求めていました。そうした中で出会ったのが、生きて行く希望を失い、死を待つ怖れの中で生活をされている介護の必要な高齢者の姿でした。先の見えない暗闇の中で、ハニ・ウォルフ氏は、同じように苦悩する人々に出会いました。当時の日本は高齢者のための社会保障制度がなく、ハニ・ウォルフ氏は、制度がないなら、この方達と一緒に神様が示された希望を見つめて生きて行こうと、祖国ドイツに帰り献金を募りました。その時の多くの方の祈りと支えによって十字の園が始まりました。

神様が下さる希望は、十字架の愛と復活に示されています。この真暗に見える世界に主イエスはお生まれになり、痛みや弱さを背負って生きる人々を助け、社会から蔑まれている人々と共に歩まれました。弱さに寄り添ったイエスは、イエスを良く思わない人々に扇動された民衆によって、十字架に磔にされました。こんな理不尽で恐ろしく、希望の無いように見える十字架の上で主イエスは、それでも神様は、一人ひとりを深く心から愛されていると確信していました。イエスは、最も善いものを得るために、自らの全てを捨てました。この十字架の下で一つになって、寄り添い、肩を寄せあって集まるものに、神様の愛が示されています。十字架の下にある園、それが十字の園です。私たちは十字の園という、神様が示された愛に依り頼み、共に十字架を見上げて希望を持って歩み続けています。

私は、人生の悩みの中で聖書を通じてイエス・キリストの愛に導かれ、福祉の世界に飛び込みました。十字の園で介護職員として働きながら、毎朝捧げられる礼拝で、利用者の生活と職員の働きは神様に捧げられ、守られていると感じました。それは、今も続いています。

これまで支援をさせて頂く中で、利用者の方は、私の拙い支援に笑顔を返して下さり、自信のない私に前を向く勇気をくださいました。利用者の方からお話を聞くことができた時は、一人ひとりの苦労や喜びの人生の中に、私が関わる事ができる意味を考えさせられました。そこには、職員や利用者の区別なく、神様によって共に生かされている喜びがあったと思います。

十字の園では、開設からこれまでに多くの方と出会い、別れを経験してきましたが、その方々から教えて頂いた大切なことがたくさんあります。その事を、次の世代にしっかりと伝えていきながら、全ての人が喜びと自由と希望の中で生きる社会の創造を目指してまいります。

注1:原語のドイツ語は「奉仕女性」という意。
1836年、ドイツのカイザースウェルトにおいて、牧師のテオドール・フリートナーによって創設されたディアコニッセ養成所で育成された女性。その女性たちはクリスチャンであり、施設や教会に派遣されて、奉仕に従事する。

社会福祉法人 十字の園
理事長 鈴木淳司